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はじめまして

こんにちは。鈴木麻代(あさよ)です。

21歳のときに結婚し、サラリーマンの夫と、年子の子どもたち(男の子と女の子、現在は社会人です)の4人家族の主婦です。

子どもの頃、書くことがワクワクになりました。きっかけは転校体験と教師との出会いです。

誕生は日本最北端、稚内市。生後3ヶ月から大阪府豊中市で育ちました。10歳のとき、父の勤めていた会社の人事で、東京都新宿区に住むことになり、はじめて転校生となったのです。

言葉も環境も大阪と東京ではまるで違い、クラスにも馴染めませんでした。この様子を察した、
担任の先生が「自分の気持ちや体験を文に書くこと」を丁寧に教えてくれました。新品の大学ノートを縦書きに使って、書き上げると、新しいノートをプレゼントしてもらえました。こうして、文を書くことが楽しくなったのです。

書いた文を雑誌や新聞に投稿して採用、入賞という楽しい体験、読んだ人が誉めてくれる経験を繰り返すうちに、さらに楽しくなっていきました。


出産後、子どもは母乳で育てることにしました。実際にはじめてみると、周りに経験者がいなかったため、心細かったのを覚えています。

小児科医の紹介で、札幌にボランティアで相談に乗ってくれる主婦がいることを知りました。おかげさまで、
たった一人でも、話を聞いて理解を示してくれる人がいることのありがたさを実感したのです。

あるとき、函館からの相談も数件あるので、函館でもやってみませんか? という話しをいただき、5人の少人数グループでスタート。書くことが好きなのを活かして、
会員向けに伝えたいことやみなさまの体験談、医師からのコメントを入れて会報を作成。やがて会員数は全国から80名になりました。電話や手紙による相談も相当よせられ、会の運営法など先輩ママさんに相談にのってもらい学んで行きました。

自分自身が助けられた電話相談の活動もはじめたことがきっかけで、聞き役になること、カウンセリングや心の世界に興味を持ち勉強を始めました。

こうした活動に注目してくれた、女性の記者さんたちがよく取材にきてくれて、地域の新聞に掲載されたのです。
今から思うと、プロの記者さんの取材に自然と触れる機会になっていました。

あるとき、毎月買っていた、マタニティ雑誌で地域のベビー用品店を紹介記事を募集しているのを見つけたのです。子ども達の服やおむつの買っていた店を紹介したくなったので、オーナーさんに話を聞きにいきました。写真を撮り、文にして応募したのです。

思えば、これが取材の第一号だったのです。当時はこれらを取材だとは感じていませんでした。(人生全般にこういう感じです)

この記事が後々、書く仕事につながっていくとはまるで予想していなかったこと。ただ、自分のやりたいことをやっていたのです。

この記事が採用になって、やがて、次へのステップとして、活かされる体験をしました。函館どつく株式会社ミッド事業部の地域情報紙編集室で、主婦の立場を活かした形で、書くことが仕事になったのはこの時のことです。


文才がある、編集関係の専門学校を出ている、バリバリのキャリアウーマンでもないけれど、好きなことが仕事になりました。

20代中頃から30代中頃まで、取材執筆を心の底から楽しくしていました。ステキな人やよいものを見つけると、周囲に伝え広めることにワクワクします。

日本エディタースクールで文章の書き方も学びました。

原稿作成のために取材をしていたときに
「まるでセッションを受けた後みたいに気持ちが整理され、意欲的になれる」
そういってくれる人が少なからずおりました。

おかげさまで、ボランティア活動をしていたことも、活かされていることに気づき、後々の人生に活かされることを実感したのです。

次第に広告の相談も受け、収入につながりましたが、広告を取るための営業活動はしていませんでした。

取材活動が10年ほどたったときのことでした。いろいろな出会いがあったなかで、特に、心の分野で、深く探求するようになったのです。

どの川の水も、やがて、海へ流れることを誰もとめられないように、川を下るように内面の世界に入っていきました。
「もったいない」といわれたものの、取材活動をいったん、やめていったのです。

セラピーやヒーリング、セミナーなど興味関心の赴くままに参加し、職業とする人たちと出会いました。この期間、様々な側面を持った自分を発見する機会となったのです。
6つほどセラピスト養成講座も修了して、6年間、有料でセッションをしました。言葉でメンタルブロックを見つけ解放していくワークが中心です。自宅の一室の小さなスペースでしたが、自分を変えたいというクライアントさんとの出会い。「振り返れば、あのときから人生が変わった」「楽になった」という感想もよくいただきました。

それなのに、何かしっくりこない。これらが本当に自分のやりたいことなのか、確信が持てず、葛藤しながら過ごしていました。

39歳で乳ガン。立ち止まって自分の気持ちを確かめるよい機会。ガンは人生において大切なことをたくさんを教えてくれました。ガンを機会にいったん生き方をリセットすることにしよう。そう決めたとき「未来は選べる」の本を見つけ「そう、これからはワクワクを選ぼう!」と希望を持ったのです。


ワクワクする生き方を実践するとき、役立ったのがソースのプラグラムです。
人生の源はワクワクすることにある! ハートのワクワクを最高の療法とする選択をしました。

この選択は20代後半から内面みつめなど行ってきた自分を信頼したからできたことです。

ガンはどう考えてもワクワクしません。でも、そのワクワクしないようなことに、ワクワクプログラムが役に立つことを体験できた貴重な機会でした。

自然散策、アロマ、ハーブ、ワクワクの小さな1歩で日々、取り入れるようにしました。

数年間で10キロ以上増えた体重も減って、従来の平均体重になりました。健康診断ではあきらかによくなって「病院で5本の指に入る優秀さ」といってもらえる結果となったのです。

ソースのプログラムとあわせてセドナメソッドでメンタル面の解放も行ってきました。

やがて、洗濯や料理をしているでさえも、内側から幸せな気持ちがにじみ出るようになります。周囲にいる人たちも顔ぶれも新しくなっていき、心の底からオープンに楽しめる人とのつながりが増えていたのです。

ソースの考え方でもある、ワクワクの小さな1歩を実践して
いたときのこと。ガンにかかり健康面で不安があることをありのままに話しても、仕事をくれる人たちと出会いました。

こうした体験から、今後は書く仕事と同時に、今後はみなさまの内面の分野も一層輝かせて人生をよくする手伝いもしよう! と思いはじめています。

今ではすっかり習慣になったワクワクの小さな1歩の実践。やがて自然な流れとタイミングで、ソーストレーナー養成講座に参加し、みなさまの人生をイキイキ輝かせるお手伝いも行えるようになれたら、幸せです。


新しい人との出会いを通じて、新しいワクワクの種を見つけることもあります。自分の世界観が広がっていくのも楽しいこと。

大好きな書くことを通して、こうした日々の体験を
このブログで綴っています。

大人がイキイキしていると、子どももイキイキしてきます。パパやママが夢を持って生きていると、子どもも夢を大切にします。

あなたのワクワク&イキイキはあなたのためだけにあるのではなく、家族や社会にも広がっていきます。


テーマ : 今日のつぶやき
ジャンル : 日記

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プロフィール

あさよ

Author:あさよ
1970年生まれ。こんにちは、あさよです。39才で浸潤性小葉がんの告知を受けたとき「これからの人生は何があってもワクワク生きるよう」と思いました。年子の子ども達は社会人として働いています。

こちらのブログはがん手術後の2010年6月より開始しました。このブログをはじめたのには2つの動機があります。ひとつは私の2人の子どもたちのためでした。子どもたちが人生のなかで、あのとき母はどうしていたのだろう? と思うことがあったとき、いつでも、どこでも見られるように。もうひとつは、ワクワクを実践し感じたこと、変化を書き綴ることで心を癒すことでした。

自分のためにはじめたブログですが、ある時「ワクワク生きようとする人にとって刺激となるブログです」「自分の周りにはあさよさんのような生き方をしている人がいなかったため、心強いです」「元気をもらっています」というメッセージが届きはじめました。みなさまのおかげで、あるがままの等身大の自分で、今できることをやって生きることのすばらしさを実感させていただきました。

私の経験を分かち合うこちらのブログが、どなたかにとっての元気や勇気、時には息抜きとなれたら嬉しく思います。

*ブログへのコメントは初めての人もお気軽にどうぞ。承認制になっておりますので、ご安心して投稿ください。
*私へのメールは上記の上記ツールバーのメールフォームより送信いただけます。

*ワクワクの実践日記としてほぼ毎日更新しています。2013年3月に1000記事を通過しました。

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