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原爆ドーム

9月26日〜9月29日、3泊4日の行程で広島へ出かけた。私は30代の前半から中頃にかけて、全国各地の神社へ訪れたことがある。しかし、広島は今回が初めてでした。ずっと避けて来たのだ。

原爆ドーム

その理由は原爆ドームだ。町の真ん中に、鋭く突き出た鋼のようなチクチクとしている。まあるいやさしい水色の円に包まれながら、円の中心には痛みを持ったままの建物が存在している。

こうした風景のなかで、私の体はなぜか広さを感じていた。

原爆ドームの周辺からマップを見ながら歩いた。原爆ドームの周辺で写真を撮っていると、高齢の女性がやってきた。
「アンタ、こんなところで写真撮ってどうするの! あっちが正面。ここはおしりみたいなもの! おしり撮ってどうするの。私は被爆者なの。ボランティアしているの」
と、自分のお尻を突き出し、手でパンパンとたたいて言っていた。どうやら建物の裏側にいたらしい。正しい場所を教えてくれているのだけれど、言葉のひとつひとつが砲丸なげの玉のよう。言葉の音からビリビリとした痛みを感じる。いてもたってもいられず離れてしまった。

ただ、教えられた場所へ行くとなるほど! と思う景色と出会い、正面がわかってよかった。
川越しに見る原爆ドームは現代の建物に囲まれている。流れる川はゆっくりしている。ゆっくりと現在まで流れて来た時の流れのように。
過去と現在の音が交差していた。

最初はパパッと原爆ドームをみて、宿へ向かう予定だった。船が港で錨を降ろして停泊するように、私の心臓はこの地に錨(アンカー)を降ろした。

原爆ドームは川の流れる広い公園の中にある。木々と緑は風にやさしく揺らいでいる。原爆で亡くなった人たちを癒すという鐘の音が鳴っていた。

現在の平和な景色のなかを歩く。想像より怖くなかったと思った。
しかし、記念館の中へ入って壁一面を使った大きな白黒写真を見たとき、フリーズした。写真はたった今、歩いて来たとわかる場所が映っていた。でも、平和さのかけらもない、原爆投下のあとの焼け野原だった。このギャップがすごくショックだった。
311の東日本大震災のあとの、町がなくなってしまった映像にそっくりだった。

体を休めたくなり、
「広島名物のもみじ焼きとお茶を味わおう」
というと、娘は
「食べ物は食べたくない。吐き気がする」
といった。

私は売店で紅葉焼きを味わった。甘い名物を食べることで体に平和を取り戻した。

ここは楽しい場所ではない。けれど、大切な場所だ。

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あさよ

Author:あさよ
1970年生まれ。こんにちは、あさよです。39才で浸潤性小葉がんの告知を受けたとき「これからの人生は何があってもワクワク生きるよう」と思いました。年子の子ども達は社会人として働いています。

こちらのブログはがん手術後の2010年6月より開始しました。このブログをはじめたのには2つの動機があります。ひとつは私の2人の子どもたちのためでした。子どもたちが人生のなかで、あのとき母はどうしていたのだろう? と思うことがあったとき、いつでも、どこでも見られるように。もうひとつは、ワクワクを実践し感じたこと、変化を書き綴ることで心を癒すことでした。

自分のためにはじめたブログですが、ある時「ワクワク生きようとする人にとって刺激となるブログです」「自分の周りにはあさよさんのような生き方をしている人がいなかったため、心強いです」「元気をもらっています」というメッセージが届きはじめました。みなさまのおかげで、あるがままの等身大の自分で、今できることをやって生きることのすばらしさを実感させていただきました。

私の経験を分かち合うこちらのブログが、どなたかにとっての元気や勇気、時には息抜きとなれたら嬉しく思います。

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*ワクワクの実践日記としてほぼ毎日更新しています。2013年3月に1000記事を通過しました。

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